ケルトの歴史とオルゴールボール



ケルト(CELT) とは古代ヨーロッパの先住民で、現在のオーストリア、ドイツ、スイスのアルプス地方を起源とし、紀元前5世紀頃には東欧からスペイン、アイルランドにいたる広大な地域に住んでいました。
彼らには共通の言語、ケルト語がありましたが、文字をもたないためその存在は長く謎のままで、「幻の文明」、「幻の民」ともよばれましたが、近年発掘作業により、その文明の様子が明らかになってきました。

ケルトの人々は共通の言葉を話しつつも部族単位で生活をし、広大な単一国家を形成することはありませんでした。そのため、紀元前1世紀にはローマ帝国に征服され、ケルトの文字や言葉の大半は失われてしまいました。

しかし、ケルト三大写本が作られた、現在のアイルランド、イングランド北部、スコットランドの地域では、ローマ帝国の支配が及ばなかったため、ケルトの言葉であるゲール語やケルトの芸術(金工美術、石彫美術、装飾写本美術など)ケルトの精神が伝えられてきました。

ヨーロッパでケルト文化が再び人々の意識にのぼるのは、18世紀後半から19世紀のことでした。古代ケルト語の研究がされたり、口承で伝えられてきたケルトの詩が発掘されたり「ケルズの書」などに見られるケルト装飾文様がアールヌーボーの作家に影響を与えたりしました。

ケルト民族の中にはドルイドと呼ばれる神官が存在しました。DRUIDという意味はDRU(オーク)とWID(知る)からなる古ケルト語で「オークを知る者」の意味です。

彼らは文学や詩に秀で、神学や倫理、法律、天文学、占術などを学んだ特権階級として、税や兵役を免除されていたと言われています。そのかわりに、彼らは多くの歳月(20年を要することもある)を修行つまり聖なる言葉の暗記に捧げなければなりませんでした。聖なる言葉を文字に書き写すことは禁じられていたためです。

これはドルイドの教義が一般大衆に知れ渡り、自らの尊厳を失うのを防ぐためと、弟子たちが文字に頼って記憶力をおろそかにするのを防ぐためでした。そうしてドルイドは宗教儀式をとり行い、神託の解釈を行いました。
文字をもたなかったドルイドは口承で教義を後世に伝えていったため、確実な資料などは存在しませんが、言い伝えによればドルイド達は自然と一体化し、深い瞑想を行うためにドルイドベルと呼ばれる鈴を作り出したといわれています。


その後ドルイドベルは機械仕掛けのオルゴールに発達しました。それは今から200年以上前の1796年にスイスのジュネーブで時計職人アントワーヌ・ファーヴルによって世に出された、シリンダー型のオルゴールでした。

ケルト民族起源のスイスがオルゴールの発祥地ということからも、やはりドルイドベルがオルゴールの基になったのではないかということを窺い知ることができます。
その後、その基となったドルイドベルの存在は忘れ去られようとしていました。しかし20世紀初めになってドイツ職人の銀細工師が骨董品屋でドルイドベルの存在を発見し、彼らによっていくつかのドルイドベルが復元され、その複製が作られるようになりました。

現在になってこのドルイドベルは米国で広まり、その美しく、心休まる音色と優れたデザインにより米国をはじめ世界各国でベストセラーの商品のひとつになっています。

オルゴールボールはケルト民族の金工美術を基にした現代のドルイドベルです。

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